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史跡・名勝

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■ 九年庵
九年庵 *国の名勝指定(平成7年)*

神埼町の北端、仁比山神社仁王門をくぐり、参道を上りつめると、その左手には緑の生垣に囲まれた風雅な葦葺の屋根が見えます。そこが旧伊丹家邸宅、通称「九年庵」です。この邸宅は、歴史的な由緒を持つのみならず、県内の庭園の中でも特に類例のない特色を有する、佐賀県を代表する文化的財産といえるでしょう。
四季それぞれに美しさがあります。秋は、庭一面に広がるまるで絨毯を敷き詰めたかのような苔と色づいた紅葉の、赤と緑の見事なコントラストが楽しめます。

九年庵の名前の由来
元来「九年庵」とは現邸宅の西北端に建てられた14坪の茶室(現在は解体)のことを指し、又「九年」とはこの庭園が九年の歳月を費やして築造されたことに由来するものです。
毎年、紅葉の時期に9日間、一般公開されます。

九年庵の概要
総面積 約28,000m2(うち山林22,000m2
庭園6,800m2 建坪97坪(約320m2
持主 佐賀市の大実業家、伊丹弥太郎氏が明治25年から巨額な経費と多年の歳月を費やして完成させました。その後、倉田氏の所有となり昭和57年に倉田氏から県が土地を購入し、建物については同氏から県に寄贈されました。
植生 約60種(約700本)
ツツジ類265本 モミジ類134本 苔類約40種(ウマスギゴケ、ホソバオゴケ、カガミゴケ他)

〔所在地〕神埼町、県道21号線沿い、高速道路北

アクセスなど詳しくは、
http://www2.saganet.ne.jp/k-kyokai/

JR・バスの時刻表を掲載しています。
■ アンドレ・ジャッピー記念碑
アンドレ・ジャッピー記念碑 昭和11年、パリから東京に向かう飛行家アンドレ・ジャッピー機が当時の脊振村で遭難。その際に村民が手厚く保護をし、当時大きな話題を呼びました。フランスと日本を繋ぐ感動的な出来事として、それを記念して石碑が建立されています。

〔所在地〕脊振町、県道305号線沿い、脊振山頂付近
■ 眼鏡橋
眼鏡橋 1891(明治24)年につくられた高さ14m、長さ20m、幅6mの石造りの橋。
脊振峡に映えて、がっちりと絶壁に誇り、100年以上に亘る脊振町の発展を支えてきた屈指の名橋です。

〔所在地〕脊振町、県道21号線沿い、城原川にかかる
■ 下村湖人生家
下村湖人生家 「次郎物語」の作者として知られている下村湖人の生家です。明治時代の初期に建築され、この家で湖人が幼少期を過ごしました。昭和45年下村湖人生家保存のため、下村湖人生家保存会によって買収、修復されました。また、平成9年から10年にかけて、傷みのひどくなった瓦や屋根を「瓦一枚募金」によって修復されました。
昨今の時代の流れのなか、古い建造物が壊され新しい家屋に変化しつつありますが、この生家は明治時代初期の建造物として、また次郎物語第1部の舞台として非常に貴重なものです。毎年10月3日に行われる湖人生誕祭や小中学生の交流の場として活かし残していくとともに、下村湖人の業績をたたえ、また精神文化の拠点なる重要な文化財として大切に守られています。

〔所在地〕千代田町、県道211号線沿い
■ 直鳥城跡
直鳥城跡 千代田町のほぼ中央部、城原川の右岸に位置する直鳥地区には南北朝時代(1504年〜1521年)に築城されたといわれる直鳥城跡があります。直鳥城の初祖は、宇都宮(栃木県)に先祖を持つ犬塚家貞の四男・犬塚山城守治部大輔家久であると伝えられていて、四周を堀で囲み、さらにその中を縦横網目状に堀が廻る水城的な形態は、佐賀平野独自のものです。平成6年〜10年に行われた発掘調査により数々の貴重な資料が見つかり、堀割をひとまわりすれば当時の面影が浮かんでくるような場所です。

〔所在地〕千代田町、国道264号線から南へ
■ 仁比山神社
仁比山神社 山の神、農業の神の御祭神。12年に1度、申年の4月に佐賀県の重要無形民族文化財「御田舞(おんだまい)」が奉納されます。
隣接する「九年庵」の庭園と併せて、春の新緑、秋の紅葉の景色がとても見事です。

〔所在地〕神埼町、県道21号線沿い
■ 櫛田宮
櫛田宮 神埼町の中心部に位置し、農業神、厄除神を祭る宮です。約1900年前に創祀されたと伝えられている神埼庄の総鎮守。現在も「太神楽」や「締元行列」などの農業にまつわる民俗芸能が伝承されています。境内には、御神幸祭絵馬、能面など多くの文化財を保存しています。

〔所在地〕神埼町、神埼市役所(神埼市庁舎)横
■ 王仁(わに)(鰐)神社
王仁(わに)(鰐)神社 竹原地区と志波屋地区にある神社。古代、百済から日本に初めて漢字を伝えた王仁博士を祭ったものといわれ、更に渡海の安全を祈願したものと思われます。

〔所在地〕神埼町、吉野ヶ里歴史公園北西
■ 白角折(おしとり)神社
白角折神社 平安時代から三所大明神の一つとして崇められてきた神社。境内の大楠は、根回り27m、樹齢1000年を越え、昔から御神木として崇拝されてきました。

〔所在地〕神埼町、県道21号線から西へ
■ ひのはしら一里塚
ひのはしら一里塚 長崎街道に唯一現存する一里塚(約4kmごとの道標)。
「ひのはしら」の名前は、ここに櫛田宮の赤木の鳥居があったことに由来しています。

〔所在地〕神埼町、国道385号線沿い
■ 姉川城跡
姉川城跡 *佐賀県史跡指定(平成13年)*

横武城跡とともに中世の農村集落の発生から城館跡へと発展・拡大していく過程を良好に残す遺跡です。14世紀前半頃にこの地区で小規模な農村集落が形成され、その中から領主層が生まれ城館を形成する過程を見ることができます。また、佐賀平野部において残るクリークに囲まれた景観の中で、当時の農村景観を良好に残す遺跡であり、佐賀平野の開発と農村集落の構造及び内容さらには、クリークに生息する動植物等もあわせて、佐賀平野の農村景観の保全という観点より、重要な遺跡です。

〔所在地〕神埼町、国道34号線から北へ
■ 伊東玄朴旧宅
伊東玄朴旧宅 *佐賀県史跡指定(昭和48年)*

長崎でシーボルトに学んだ幕末の医者・蘭学者伊東玄朴が20歳のときに建てた旧宅です。
玄朴は、種痘などの近代医学の父として知られています。

〔所在地〕神埼町、県道21号線沿い
■ 水車の里遊学館
水車の里遊学館 水車の資料などを展示した施設で、3つの水車を横に並べたような外観が特徴です。各地の様々な水車の形と働きを知ることができます。また、水車を使った電力で「からくり人形」による「御田舞」が見られます。

〔所在地〕神埼町、県道21号線沿い
■ 日本一の石門
日本一の石門

大正3年3月建設。巾三尺、高さ1丈4尺、重量3万4千斤(13トンと14トン)のみごとな花崗岩である。大正天皇ご即位記念として、建設された。学校のうら山から切り出し、上の水車馬の跡附近から駐在所役場への道路に丸太を敷き、車地によって運搬された50年後には中学校、高等学校、大学校まで建設するという大構想に基づき、当時の脊振村内有志55名の寄附560円で建設されたという。日本一の石門と遠近に聞こえた脊振の名物の一つである。昭和30年夏、運動場拡張に伴い、現在の位置へ約10メートル南に移動された。

〔所在地〕脊振町、脊振小学校校門

■ 栄西記念像(茶祖)
栄西記念像(茶祖) わが日本茶は、鎌倉時代に栄西禅師が宋の国、江南の茶種を持ち帰って、わが脊振山に植えたのが初めてであることは、史実として明らかである。

〔所在地〕脊振町、県道305号線沿い
■ 脊振神社



脊振神社下宮
脊振神社下宮
脊振神社上宮
脊振神社上宮
神社(上宮)は1055メートルの山頂にあって、冬期は厳寒積雪のため参拝が困難であったため、当時の白蛇神社の境内に下宮を建立した。白蛇神社、多聞坊東門寺は、同一境内に並びたっていたが、明治維新のため、寺院は扶持をはなれ、神仏混淆を禁じられたため、衆僧は離散し、寺院は廃寺となった。そして脊振神社は、明治6年2月21日、郷社として許可された。両神社の社殿は、明治7年の兵火に罹り、附近一帯の寺院と共に焼失し、現在の神社は、その後再建されたものと言われる。

〔所在地〕 (下宮)脊振町、県道305号線沿い
(上宮)脊振町、脊振山頂

 

■ 後鳥羽神社
後鳥羽神社 鎌倉時代、1221年「承久の変」で敗れ隠岐島に配流された後鳥羽上皇が、密かに身を寄せたとも伝えられています。
神社のある鳥羽院地区の名前の由来にもなっています。

〔所在地〕脊振町、県道273号線付近



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